組合立諏訪中央病院は1986年、茅野市の中心市街地から郊外へ移転しました。その際、設計競技を経て設計者として選定されたときから、病院と私たちの関係がはじまりました。この病院は地域医療の向上に多大な実績と成果をあげてきており、全国のモデル病院と目されています。私たちは病院の医療的展開に寄り添うように、折にふれて設計上の協力をしてきました。この20年、わが国の医療制度は激動し、それは現在もつづいています。医療制度の変化を併記しながら、病院の足跡と医療施設としての変貌を追いました。
1985年
第1次医療法改正
医療計画制度の創設→病床数規制の実施
この時期、地方自治体の起債条件として床面積は1床あたり55〜60平方メートル程度が事実上の標準になっていた
旧病院を詳細に調査、米国を視察
移転新築の際、敷地造成の関係で設計着手が約1年間先送りになりました。その間を準備期間にあてることになり、二つのことを実行しました。このことが病院の性格づけに大きな影響を与えました。一つは、当時の病院長今井先生と当時の当社社長大場が最新の医療事情視察のため訪米し、管理システムについて知見を深めたことです。もう一つは、旧病院の看護態勢や物品管理について詳細な調査を行ったことです。
当時、病棟規模は50床程度が一般的で、欧米に比べて大きすぎるのではという問題意識がありました。旧病院では看護単位が2層に分かれて運営されており、チームナーシングが定着していました。一方、物品管理の面で米国で普及しつつあったSPD(物品供給の一元的管理と部門の独立)という考え方にもとづいて、わが国の実情にあわせたシステムを構築できるのではないかと考えました。
これらのことから、一つの看護単位を二つのサブグループで構成し、看護拠点もそれに応じて分散して配置し(ナースコーナーの設置)、そこにSPD収納棚を設けるという提案を生むことになります。この方式により、看護師の動線は短縮され、患者の身近なところでの看護活動を可能にし、物品搬送の雑務から解放されることになりました。同時に1フロア2看護単位の病棟で、個室群を二つの病棟間に配置し、病棟の編成に応じて病床数調整が可能になるようにしました。

移転新築時 北西から見た全景

エントランスホール
増改築後もほぼそのままの姿

移転新築時の病棟
フロアカラーは増改築時にも踏襲

総合案内サイン
移転新築時にサインの重要性を再認識
筑波大学西川潔教授の監修をうけ当時として最先端の取り組みとなった
1992年
第2次医療法改正
医療施設機能の体系化→機能分化へ
療養環境加算(1床あたり8平方メートル/超)、差額病室比率の緩和
1997年
第3次医療法改正
介護保険法成立にともなう医療提供体制強化
地域医療支援病院制度創設
インフォームドコンセント規定が明記
将来構想にもとづいて病院の再生を図る
移転新築後12年を経た1998年、大規模な増改築が実施されました。従来、病院はつねに変化が求められ、小刻みな増築が頻繁に行われることがあります。そのため、建て替える用地を失い、手詰まりになる例がよく見られました。
この病院で特筆すべきは、対症療法的な増築を最小限に抑えながら(唯一はMRI増築)、その間、院内で調整を進めて変化に耐え、一挙に増改築を行ったことです。そのため、当初の将来構想を踏襲するかたちで、計画を進めることができました。病床数は分院にあった病床を集約するかたちで、約1.8倍になりました。
同時に、外来や救急の拡大、リハビリや透析の拡張整備を行い、面積的にもほぼ倍増しましたが、基本的な部門配置を維持するため、主たる増築棟のほかに、小規模な増築も3カ所で行うことになりました。これらの拡張にともなう既存施設の改修は院内全域に及び、まさに病院の再生というにふさわしい内容になりました。健診部門が独立、整備されたのもこのときです。
手術やICUと連携した循環器病棟、周産期病棟、加えて「日本一小さな」緩和ケア病棟が新設され、病棟の一部が「療養病床」に転換されるなど、医療の高度化や地域医療の展開に対応するため、病棟の再編が実施されました。増築した病棟は、療養環境加算に準拠する面積水準とし、個室比率も向上させるとともに、4床室は「個室的多床室」としました。新旧の病室間で生じた環境格差は、病院側の「サービスでカバーする」という姿勢に支えられて採用することができました。
移転新築時に採用したナースコーナーは、しっかりと定着したシステムになっていて、増築病棟でも踏襲することにしました。従来、スタッフステーションと分離した「分散型」であった形態に対して、増築のほうはスタッフステーションと連続した「集約型」の平面形を採用しました。急性期医療における診療の高度化、濃密化に対応するためです。

増改築後 南方向から見た全景

増築棟に設けられたラウンジ
家族との語らい、お見舞いの憩いの場として活用

増築棟全景
前庭はボランティアの手で手厚く維持されている
2000年
第4次医療法改正
看護職員配置の見直し→人員配置を手厚く
情報開示・臨床研修の義務化
医療計画の見直し
病院を長く使いつづけるために
2001年、長期にわたり施設を維持させるため「長期修繕計画」が策定され、開設後15年を経た移転新築時の施設を対象に、主に設備更新を中心とする修繕が5カ年計画で実施されました。長い目で見れば予防保全が望ましいことは理解されていても、なかなか実行できない施設が多いなかで、それをやり遂げた先駆的な事例になりました。
その間も施設的な変化の波は停滞することなく、手術室のバイオクリーンルーム化やCT室の増設などが行われました。基本設計のみの関与でしたが、化学療法センターの増築、救急外来の拡張整備なども同時並行して進められました。社会的な変化に対応しつつ、地域の人々に最適な医療を提供することを使命として邁進するこの病院に、敬意と共感を覚えながら、私たちも共に歩んでいきたいと考えているところです。

廊下の要所に置かれたパネル
スタッフの温かさが伝わる
2008年発行『50周年記念誌』より抜粋