……空が高く晴れ渡った日、ある病院の竣工式が行われました。

出席した人々の顔は、祝祭の気分で輝いています。

病院の開設に関わった人々は、これからの運用に関わる心配をひとまずおいて、完成にこぎつけたことに安堵の表情です。病院で働く人々は、新しい職場の完成を期待を込めてつぶさに眺めています。利用者になるかもしれない地域の人々は、身近に病院ができて安心だ、と頷うなずいています。いずれも笑顔が満ち溢れ、新しい建築の誕生を祝福しています。

祝祭の場には当然のことながら設計者もいます。ですが設計者の思いはやや複雑です。さまざまな気分が綯い交ぜになっているのです。いわくいいがたい思いにとらわれて。

もちろん、その気分の大半は「達成感」です。長い時間と情熱を傾け、病院の要望を受けとめ、コンセプトづくりから始まり、職員とのヒヤリングを重ね、さまざまな調査や分析を積み上げて、設計をまとめ上げたのです。さらに長い時間をかけて工事の監理を行いました。工事に携わった人々と、時にはやりあい、多くは協力しあって完成にこぎつけたのです。「遂に完成したぁ!」というのが正直な思いです。

その「達成感」の裏側に、ほんの少し「切なさ」のような気分が混じります。いってみれば、成人した子供を社会に送り出す親の気分といえばいいでしょうか。完成した建物は自分の分身のようなものです。いい所も弱点も知り尽くしています。わが子が社会の荒波をうまく乗り切っていってくれるだろうか、という親心に近い感情が、少しかすめるのです。周囲の人々に愛されて、うまく生きていってくれと願わずにはいられないのです。

幸いなことに、多くの場合私たちが手がけた建築は、クライアントからも利用していただく人々からも感謝の言葉をいただきます。もちろん誤解や意思疎通の不徹底のための不具合が皆無とはいえません。その時は誠意をもって対応し、納得いただけるよう努めています。竣工式を迎えた病院も、感謝の言葉がいただけるものであってほしいと念じています。

「すばらしい建築をありがとう」

またきっとこの言葉がいただけると信じて、苦労も多いけれど喜びを分かち合える道を歩みつづけます。

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