0. はしがき
私たちが仕事をはじめてから、早くも20年の月日がたちました。この小冊子では、私たちの歩いてきた跡をふりかえるとともに、現況の一端をご紹介したいと思います。皆様のご理解とご批判とを得られる緒口になれば幸いです。
はじめに、日ごろ私たちが設計の仕事を通して、建築というものをどのように考えているか、について簡単に述べてみようと思います。
建築を造形芸術とみなす考え方があります。私たちはその考え方をむげに斥けようとは思いません。それどころか、洋の東西を問わず、数々の名建築が造形芸術のすぐれた作品に価いすることを、建築家の一員として誇りに思うものです。しかし、私たち自身の仕事としては、建築の造形性を第一義的に追及しようとは考えません。なぜかといえば、建築というものは、もっと人間生活の全体に深く関わるものと信じているからです。
美しいということは大切な価値です。けれども建築のばあい、それは結果として自然に美しいことが大事なのであって、たんに見た目に恰好がいいといったような、中身を抜きにして視覚的効果だけを追うような行き方では、けっして本当の意味での美しさに達しえないことは瞭らかです。
何よりもまず、建築は自然のなかに、そしてこの社会のなかに存在するものです。どんな建物でも-たとえ一軒の小住宅でも、また大規模な病院であろうとも-、それが生きて働くためには、ひとりの人間の生活がそうであるように、自らの身丈けに合わせて、しっかりと自然および社会のなかに根を下さねばなりません。
第一に健康であることが根本条件です。建物の骨格(構造)、筋肉(材料)、皮膚(仕上げ・詳細)、そして内臓・血液・神経(設備・機能)が丈夫で長持ちし、どんな場合にもよく役立つようでなくてはならないでしょう。
第二に、建物はその周囲の状況に適応できなければなりません。たとえその立っている場所がどこであれ-街の中であろうと田園風景の中であろうと-、建物はぽつんとそれだけが切り離されて在るわけではありませんから、周囲の条件によって制約されると同時に、それが立つことによって逆に、周囲にも大なり小なり影響を及ぼします。そういう相互作用の中に、人と人との関係、人と物、物と物との関係が、あらゆる形で入りこみ、それらの入り組んだ関係にどう対応するかによって、つねにその建物の持ち味が試めされることになるでしょう。
そして第三に、建物はやはり大きな自然のなかの小さな自然-人間の手によってつくられる第二の自然-にほかならないことを忘れてはならないと思います。建物を支える大地は、時にまた地震によってそれを脅かす大自然の一部でもあります。陽の光、雨や風のそよぎに至るまで、すべて建物の命に関わるものであり、熱や音といったエネルギーについても同様です。それらに対して、私たちはどれほど配慮をしても、したりるということはありえません。
ざっとこのように、建築を自然的一社会的存在として見る私たちは、いかなる場合にも、それぞれの建物の抱える諸条件(自然的・社会的な)に見合った答を抽き出すことに、設計の全力を傾けたいと考え、そのように仕事をしてきたつもりです。
そのとき問われるのは、設計に携わる私たちひとりひとりの、自然・人間・社会の全体に対する想像力の質であり、また、答を導くのに必要な認識と分析の力、そしてそれに基いて一個の形ある空間に建物をまとめあげる表現力にほかなりません。
私たちの力量は乏しく限られています。それを補うものは努力と経験の蓄積以外にないことを承知しています。と同時に、以上のような観点に立って私たちは、事務所創立の当初から、その名のとおり「共同設計」という方法を採ってきました。一個人の才能に頼るのではなく、さまざまな職分の多様な能力を、できるかぎり有機的に-事務所の内外にわたって-結びつけることこそ、上述の設計の考え方にふさわしいと信じたからにほかなりません。
共同設計という方法には、当然ながら、それに加わる互いに違った個性と異なる持ち分とのあいだの対立や矛盾が伴ない、一個人による設計とは別のむつかしさがあることは事実です。けれども、その対立や矛盾を逆にバネとし、私たちの仕事のめざす方向への活力とすることが、つねに私たちの抱いているささやかな希望であります。
以上が建築およびその設計に関する私たちの基本的立場です。それに拠って具体的にどのような仕事をしてきたか、また現にしているかを、このあと見ていただきたいと思います。