3. 住宅

1978 多摩段丘の家・東京・天神氏

文は人なり、という。住まいもまた住み手の人柄をしのばせる。それだけに個人住宅の設計に当るということは、建築家として責任の重い仕事である。設計担当者の見識・力量・個性の全体が、これほどくっきりと生に表われる対象は他にない。建築は住宅に始まって住宅に終る、とも言い慣わされるゆえんであろう。

もう一つ個人住宅という主題の特質は、それが建築主と設計者との共同設計にほかならないという一事である。
両者の関わりは実際には多様だが、設計以前の緊密な相談ばかりでなく、たとえどんなに設計者の個性や主張が強く、図面を描く段階ですべてを建築主から一任されたようなばあいでも、実現された住まいの空間は、建築家の手になるものと言っていいと同時に、本質的な意味でそれは建築主のものであり、住み手としての自己表現にほかならないということを忘れるわけにいかない。住み手と設計者とのそれぞれの主体の特徴がぶつかりあい、切り結んだ挙句産み出されるもの、そこに個人住宅の表現のおもしろさとこわさとがあるというべきではなかろうか。

この多摩段丘の家は、上記の意味での共同設計の一典型である。生活の将来像を含めての建築主の希望と、それを、かなり変った形の敷地のなかに、限られた予算のなかで、形にしてゆく作業には、何回も図面を引き直す努力が必要であった。けれども、結果として住み手の家族全員に喜んで使ってもらえる住宅になりえたことはうれしいし、設計者として日ごろ抱いている住宅観の大筋を枉げずに空間化しえたことも喜びである。構造体は強く(RC造)、設備に予算を惜しまず(1階温水床暖房;中央給湯)、内装は簡素を旨とした。写真に見る吹き抜けは、家の中心にあって、1階の接客空間と、2階の私的空間とを結ぶ階段まわりである。この住宅は、近い将来に予想される親子二世代の生活の場として構想された点にも特徴があり、そこには、この一つの特殊解を通して、普遍性のある答が暗示されているはず、と設計者は信じている。

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